今後のビジョン

今後のビジョン 今後のビジョン

当園はミツバチと共に自然環境保護に取り組むのはもちろん、養蜂が今後も続いて行けるように、荒れた山林を購入や借り受けるなどの方法を取り、蜜源植物の増加、休耕田を借り受けれんげ畑、菜の花畑、ひまわり畑等、鹿沼にもっと花畑を作っていく。 栃木に来たら、寄らなくてはいけない、寄りたい場所にしていく。その中で大自然の偉大さを伝え、自然の中で元氣になってもらえる場所を作り、笑顔あふれる場所を作って行く。今日来ていただいたお客様が、帰り際、まだ帰りたくないと思っていただける場所、昨日行ったのに、またすぐに行きたくなる場所。そんな場所を作っていきます。


お客様と店という関係ではなく、全ての人と家族と同じように思える関係を築き、鹿沼の魅力ある自然を伝え、鹿沼、栃木を県、内外にアピールしていき、ミツバチ、自然を通し、家族(家族=お客様)が健康に、そして笑顔になっていただける場所を作り、一人でも多くの人が当園を訪れ、自然に触れ愛、そして元氣になっていただくと共に養蜂家として、ミツバチの良さを伝えていく、自然の素晴らしさを、栃木を、鹿沼を伝えていく事も使命です。

具体的なビジョン

●店舗ビジョン  当園に来ていただき、ミツバチや、自然を通し家族(家族=お客様)一人一人が心身ともにリラックスし、楽しんでいただける場所を提供していきます。

・caféを併設し自然の中でゆっくりと時間をすごしていただける場所を作ります。
・当園周辺を整備し、気軽に散策していただける場所を作ります。
・蜂蜜を使った料理教室、ワークショップ等を開催し、養蜂に触れ合っていただきたいと思っております。
・蜂蜜等蜂産品を使用したエステで癒しを得ていただけるような場所、事業を行います。

●養蜂事業ビジョン ミツバチの住みよい環境を自ら作っていきます。

・耕作放棄地を借り受け、菜の花畑や、れんげ畑、ひまわり畑等に有効活用し、蜜源作り、地域環境づくりを推進していきます。
・山林を購入し、四季折々の蜜源植物を植林し、養蜂牧場を作り、しっかりとした自然を残し、増やしていきたいと思います。

●Smail Nature Project  ? し ぜ ん と笑顔になろう? このプロジェクトは昨今、蜜源植物の減少、自然環境の悪化等、ミツバチにとって住みよい環境は減少しつつあります。ミツバチの住む環境が減少・悪化しているということは、人間も見えない部分で住みにくい環境、体内に対してよくない影響を与えてると思います。
表向きは、便利になり、欲しいものがすぐ手に入り、食べたいときに食べたいもの食べ、遠くへ移動する際も労力を使わず、便利な乗り物を使用し移動ができる世の中です。
それが全て良くないわけではありません。その便利な世の中に自分は生きていますし、実際使用しています。しかし、それも全て地球があるから、そこに自然があるから、生き物(自然)がいるからというのを忘れてほしくはないのです。
最近ECOという言葉は街の至る所で目にするようになってきています。
ただ、ECOだけでは環境破壊は止まらないとおもいます。
今度はECOプラスαが必要だと思います。
そこで、ミツバチと大自然と常に関わっている当園だからこそ皆さんに伝え、一緒に考えていただいたり、一緒に取り組んでこれからの自分の子供、孫にもこの素晴らしい自然を残し、いや、増やしていこうじゃないですか。
そして大人も子供も一緒になってどろんこになりながら自然の中で、自然に笑顔になって、そして自然も笑顔になれる。
たくさんの笑顔を作っていくのがこのプロジェクトです。

そして、夢

自分が幼稚園の頃、今でもなんとなくだが覚えている。 将来の夢を発表した。
その時の夢...それは親の跡を継いで養蜂家(はちみつ屋さん)になること。
それが幼心に言った夢だ。
なんとなくだが覚えている。
その夢を今現実のものとした。

しかし、実家に戻り家業の養蜂を継ぐまでには色々な事があった。 四年間、社会勉強のためにという口実の元...大学に行くのを許してもらった。
ただ親から離れたい。遊びたい。親は気づいていたかもしれないが、社会勉強の為にといって自分を送り出してくれた。
そして、大学に行き、半年が過ぎたある日。
母から連絡があった。
正直母も電話をするのを悩んだんであろう。
半分涙声混じりに、電話がきた。
「お父さんがヘルニアで入院してる...」
そんな涙声で電話をしてきた母はもしかすると初めてだったかも...
次の日大学に休学届けを出し栃木に帰省した。
そしてそこで母から全てを聞かされた。
もしかすると歩けなくなるかも...
えっ?まさかと思ったが...
とりあえず、病院にお見舞いに行った。
細い父が一層小さく見えた。

そこで色々家族で話をした。 幼稚園を辞めてお店を手伝ってくれていた姉にも色々言われた。
「かずひろは何をやってるの?遊んでばっかりで...私の身にもなってよ...」
色々しょいこんでいたのかなと今では思うが...
親父にはそこでこう言われた。
「大学にせっかく行ったんだから卒業しろ」
「その間は蜂屋は休めばいい。たったあと三年間じゃないか。お前が帰ってきてくれてからまたやり直せばいい」って。
たぶん父は、自分の兄弟の中で自分だけ大学はもちろん、高校もでていないことすごくコンプレックスに思っていたのかもしれない。

自分はこの話を聞いて何もいえなかった。 正直大学は楽しかったし、これからやりたいこともたくさんあった。
新しい友人もでき学生生活まっただなかだったし...

その日はそのまま病院をあとにした。

正直帰ってから悩んだ。 自分は長男だから、継ぐのは当然と思っていたし、家族がこんな状態でいるのも嫌だった。
しかし、大学生生活も楽しかった。
それに自分の人生だから関係ないとも思った。

悩んだ。かつてないほど悩んだかもしれない。 しかし、自分の中で一つの答えを出した。
『大学を辞め、親の跡を継ごう』自分の中では一大決心だった。
それを病院でみんなの前で言った。
「俺大学辞めて、蜂屋をやる」
普段ぜんぜん泣かない親父が泣いた。
母も泣いた。姉ちゃんも泣いていた。
親父や、母ちゃんは俺を卒業させたかったのだろう。
でも俺は何を言われても決めたこと変えるつもりはなかった。
大学を辞めたことを、親父や家族のせいにしたくなかったから。

それを親に言った後、確か2?3日後だったと思う。 大学に行き、休学を、退学にしてもらった。
自分の気持ちが変わらないうちにというか、決めてしまえばやるしかないから。
そういう気持ちも正直あった。
その時学長には、そんなに大学つまらない?そんなに遊ぶ暇がない?とか言われたが...(苦笑)

そしてすぐ、養蜂の右も左もわからないまま、仕事をした。 確かその頃はイチゴ蜂の納品の時期で、親父の言われるがままにいちご農家さんのところへ配達をしてまわった。

そして何ヶ月かが経ち、親父も奇跡的に回復にむかっていった。 一緒に仕事もできるようになっていった。

自分で決め、大学を辞め、親父の跡を継ぎ、仕事をしているうちに正直悩んだ時期もあった。 親の跡を継ぐというのは親の敷いたレールにのっかっているだけのように思った。
どんなに頑張っても、先祖の力...
なんか、嫌だった...
未熟なくせに、自分では何も踏み出せないくせに...

今思うと、親の偉大さ、先祖の偉大さから、適当な言い訳をして逃げたかっただけなのだと思う。

しかし、今は違う。今は本気でこの養蜂という職業に魅力を感じ、一生かけて色々な事に挑戦し、一人でも多くのお客様に養蜂を伝え、養蜂という職業を通じ喜んで、そして笑顔になってもらいたい。そう思う。 だからこそ、こんな事を言っていかわからないが、親父があの時ヘルニアになってくれていたことをすごく感謝している。大学を辞め、親父の跡を継いだこと。早めに社会に出て色々な経験をさせていただくことができていると自分では思っている。
大学は大学で、色々なことを学べる場所だが、自分は正直、親から離れるため。親のすねをかじり、四年間遊ぶためにいっていた気がする。
またそれもよかったのかもしれないのかな...(笑)

今は本当にこの仕事、養蜂が好きだ。 自然と共に仕事をし。ミツバチと共に仕事をし。
そして養蜂という仕事を通じ、お客さまをはじめ、色々な人に出会い。
本当に自分は恵まれていると思う。
これからもっともっと色々なことにチャレンジしていきたい。
幼稚園の時の夢をすでに叶えた自分だが、今また新しい夢がある。
それは、養蜂を通じ、世界中の人を笑顔にしたい。そして、養蜂という仕事をもっともっとたくさんの人たちに伝えたい。
そして自分の子供ができたとき、自分の父のようにお父さんの跡をついで養蜂家になりたいと言われる存在でありたい。

四代目(予定)黒田 和宏
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  • Honey Bee新聞
  • 2010年1月号
  • 絵・文・編集:くろだようこ
  • まちの駅新聞
  • 第17号 8月発行
  • 絵・文・編集 くろだようこ